相良真由子選手(真由ちゃん)追悼ページ

相良真由子選手について

静岡県出身。神奈川県に在住し、ウィングの選手として活躍。
持ち点1.5の貴重な選手。腕の長さを活かして、1.5の持ち点でありながら、楽にミドルシュートを打つことができる選手。
何より、明るく愛嬌あふれる真由ちゃんは、皆から好かれる存在でした。
2007年よりウィングのキャプテンを務め、2010年全日本女子選手権大会において、ウィングを7年ぶりの優勝へと導きました。
同年12月3日、ウィルス性の急性胃腸炎が原因で亡くなりました。

真由ちゃん自身の書いたプロフィール(2001年ごろ)

私が車椅子バスケットを知ったのは・・・
多分リハビリ病院に入院しているときスポーツ訓練でかな?その時は、普段乗りの車椅子でパスとかドリブルとかをやらされたような気がする。でも休みの日に体育館で車椅子バスケの試合や練習を友達と見に行ったりもしてた。そのころは、『なんて恐ろしいスポーツなんだ。やっぱり私はリハビリでやっている程度がちょうどいい』って思っていました。

私が車椅子バスケをはじめた理由・・・
それはズバリ健康の為。日常生活だけでは動くことがなかったので、適度な運動が必要だと思ったのです。その頃はまさか本気でバスケをやることになるなんて思ってもみなかったです。でも、バスケをやるにしたがって、やるからには全日本に入ってみたいと思うようになったのです。周りのみんなにおだてられて、やる気になった部分もあるのですが・・・。

初めは、ウイングの存在すら知らず、地元(静岡県)のバスケットチームに週2回練習に行っていたくらい。誰かが昔使っていた車椅子を借りて、練習に混じっていたけれど、その頃の私にはバスケをやる前に大きなハードルがあったのだ。それはバスケ車へのトランス(乗り移り)。今でも下手だけれどその当時の私は本当に下手だった・・・って言うより、できてなかった。練習に行くたびに床に落ちて助けてもらっての繰り返しで、あまりにもできないからバスケ車を家に持って帰って、ひそかにトランスの練習をしたよ。

その結果、練習したバスケ車に関しては落ちないで、トランスできるようになったのだ。ただ借り物だから時々別の車椅子に乗ることになると、ドキドキしながらトランスしてやっぱり落ちていたなぁ・・・。その後遺症か実は今でもトランスのときはひそかにドキドキしたりしてるんですよ。

そそんなこともありつつ、今は辞めてしまった堂森佳南子と一緒にウイングの試合を見に行き、ついでに練習も通うようになったのでした。そして「ウイングに入ろう!!」って決めたのでした。その頃のウイングは人数が少なくて男女混合チームだったし、晴れて女子チームになっても、弱くってあまり勝つことがないチームだったけれど、将来絶対に強いチームになると思ってた。ウイングも私自身もまだ発展途上だけれど、もっともっと練習して強くなるぞ!!そして今年こそは女子選手権大会で優勝だ~!!
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